代表インタビューInterview

創業者インタビュー

フレクシェ社創業者(初代代表)

浦野幹夫Mikio Urano

※浦野が代表取締役であった当時の文面をそのまま掲載しています。

フレクシェ社の創業者であり、以来年以上に渡って『FLEXSCHE』の開発を続けてきた浦野幹夫代表。生産スケジューラの開発だけに注力してここまで会社と製品を育て続けた彼の会社観と仕事観とはどんなものなのだろうか。これまでの経緯と、思い描くこれからのフレクシェ社の在り方について尋ねた。

「転んでもタダでは起きない」

浦野さんがフレクシェ社を立ち上げた動機について教えてください。

前職で私は生産スケジューラを開発するパッケージソフトメーカーのエンジニアとして働いていました。そこで開発経験を積むことで、生産スケジューラならば世界一上手に作れると自負するまでになりました。私はもともと「自分の仕事」は自ら決めて取り組むものだという意識を当たり前のように持っていたので、経験を生かしてより優れた新たな生産スケジューラを開発するべく、2001年、私が33歳の時に起業しました。

退職から会社のスタートまではすんなりと進みましたか?

いえ、前職の会社からの激しい抵抗があり、スムーズに、とはいきませんでした。ですが根気強く対応してある一定の条件のもとに和解することになりました。その条件とは、先方の会社が弊社製品の代理店のひとつになる代わりに、「2年間はパッケージソフトウェアを作ってはならない」といった付帯条項を受け入れるというものでした。

生産スケジューラを作るために創業したのにそれができなかった、ということですか?

それが必ずしもそうでもないんですよ。その条件を呑んだ上で作った『FLEXSCHE Components』はパッケージソフトウェアではなく、「生産スケジューリングシステムを構築するための部品群」であり、柔軟性が極めて高い開発プラットフォームです。そして3年後、『FLEXSCHE Components』の柔軟性をそのまま受け継いだパッケージソフト『FLEXSCHE Maestro』(現在の『FLEXSCHE GP』)をリリースしました。この経緯があったからこそ、「パッケージソフトでありながらも高い柔軟性を持つ」という重要なコンセプトを確立できたと思っています。それに、受託開発で細々と食いつないでいたような低空飛行の創業期に契約料収入があったのは結果的にはとても助かったので、今のFLEXSCHE、そしてフレクシェ社があるのはこの時のすったもんだのおかげだと言っても過言ではないですね。

起業と同時に立ちはだかった障害がかえって良い結果を生んだのですね。

そうですね。「転んでもタダでは起きない」というのが私の座右の銘です(笑)。

それ以前はどんなお仕事をされていたのですか?ご経歴を教えてください。

大学時代にコンピュータソフトウェアを学び、1993年に大学院を卒業した後は仲間3人で起業しました。でも、それが何の会社なのかもよくわからないくらい稚拙な事業で、結局1年で解散しました。その後は求人誌で見かけた会社に転職しましたが、クリエイティブな開発ができるわけではなく、そこで仕事をしても自分のエンジニアとしての成長に寄与しないと感じて半年もせずに退職。そしてその次の転職先がたまたま生産スケジューラのメーカーだったんです。

学生時代の専攻もコンピュータソフトウェアということなのですが、昔からこのような分野に興味を持っていたのですか?

私は子供の頃、いわゆる「マイコン少年」だったんです。中学2年生のころに興味を持ち、高価なものなので当時の普通の家庭にはマイコン(注:当時はパソコンという呼称は存在しなかった)なんてありませんし、貧しい我が家にももちろんなかったので、本を熟読して、紙に鉛筆でプログラムを書いて勉強しました。マイコンを持たない人を「ナイコン族」と呼んでいた時代のことです。『マイコン操作法入門』(ラジオ技術社刊)という本は、穴が空くくらい繰り返し読みましたね。

その本に浦野さんのルーツがあるということですね。

はい。ハードウェアとソフトウェアがバランスよく解説された良い本なんですよ。最近、古本で再び手に入れました。キーボードの代わりにこの本の表紙でタイピングの練習をするという健気な時代が私にもありましたね(笑)。そして両親に拝み倒して高校入学祝いという名目で『PC-8801』というパソコンを買ってもらい、高校時代はそれをひたすらいじりまくっていました。当時の話ですが、『I/O』(工学社刊)という月刊誌に載っているゲームプログラムの16進数ダンプリストを、数時間、ものによっては十数時間もかけて入力するんです。入力したプログラムをカセットテープに「録音」してさらにコンピュータに読み込ませ、実行して遊ぶ、ということをよくやっていました。とにかくコンピュータでプログラミングやゲームに熱中する毎日でしたね。マシン語もこの頃に覚えました。

そして大学でもコンピュータソフトウェアを学んだんですね。

仕事にしようと思っていたわけではありませんが、得意だし、面白そうだからということで情報科学を専攻しました。でもあまり真面目な学生ではありませんでしたね。アルバイトに熱中しすぎたせいで1度留年もしています。

どんなアルバイトをしていたのですか?

ゲームのソフトハウスです。最初は授業が終わってから通っていたのですが、次第にのめり込んでいって、授業に出なければと思いつつも気付いたらそこに入り浸る生活になっていました。デスクの下で毛布にくるまって寝ていたし、ついには会社が借り上げているマンションに住み込んでいた時期もありました。納期に追われてがむしゃらに働き、終わったと思ったら次のゲームの開発がスタートするという、後にも先にも私が唯一経験したデスマーチの仕事場です(笑)。それでもその頃は、そんな生活を続けていたいという倒錯的な気持ちもありましたが、最後はこれを逃すと退学しなくてはいけない、という期限の1週間前に決断し、かろうじて大学に戻りました。

そこではゲームの制作をしていたのですか?

プログラミングをしていました。そこで身に付けた知識や経験は現在の開発に多分に生かされています。例えばガントチャートはゲームプログラミングのエッセンスが大いに含まれていますし、アセンブラ言語でゴリゴリとコーディングした経験は、最高速を追求するC++言語によるFLEXSCHE開発には随分と役立ちましたよ。

さすが、「転んでもタダでは起きない」というわけですね(笑)。

その通りです!

原点は、磨くほどに輝いた中二の美術の課題

ソフトウェアの中でもどうしてこの生産スケジューラという分野を選び、開発を続けてきたのですか?

選んだというよりも誘われて入社した会社がたまたまそれを作っていた、というのが生産スケジューラの開発を始めた唯一の理由です。その仕事をしている中で蓄積し、構築してきたたくさんのノウハウや知識、自分の能力が最も生かせることができる領域だから今も開発を続けています。製造業という分野について、もともとはまったく知見がありませんでしたが、突き詰めてものづくりをするという点においてシンパシーを感じます。

子供の頃から、「ものづくり」が好きでしたか?

そうですね。私のものづくりの原点となったのが、中学2年生の美術の課題だと思っています。石を削り出してハンコを作るというものだったのですが、私は授業時間中に課題が終わらなくてそれを宿題として持ち帰ることになりました。特に目的があったわけではありませんが、何の気なしにそれをハンカチでしばらく磨いてみたら少し滑らかになったんです。これをさらに続けていくとどうなるのだろうと、結局3日ほど家でひたすら磨き続けたらものすごくピカピカになったんです。提出したら先生にもびっくりされましたね。そこで「1つのものを磨き続けるとこんなにも輝かせられるのか」ということをじんわりと感じたのをよく覚えています。まあ、いわゆる中二病でしょうかね(笑)。とはいえ、今、FLEXSCHEだけを年間も作り続けていられるのは、このハンコの一件があればこそだと考えています。

そのものづくりに対する思いがあるからこそ、経営の仕事がありながら、今も変わらずエンジニアとしての仕事も続けているのですね。

私の本質はソフトウェア開発にありますから。ただ、最近はこのウェブサイトのリニューアル作業にかかりっきりで忙しく、全然コードを書く時間がないですね。早く戻りたいですよ。みなさんがこれを読んでいる頃には、さすがにコーディングを再開できているはずです。

お疲れ様です。普段、オフィスにはどのくらいいるのですか?

長時間仕事をしているわけではないですよ。他の社員たちと同じく、定時に出社してそこそこで上がるのが基本です。創業以来、徹夜するような働き方をした時期もまったくないですね。家族との時間も取れるようにバランスよく働いて、土日は完全に休んでいます。

休日はどのように過ごされるのですか?

家族で過ごしたり、趣味に費やしたり、ごくごく普通ですよ。

どんな趣味をお持ちなのですか?

映画鑑賞が好きですね。映画館にはたまにしか行かず主に自宅でですが、ジャンルを選ばずトータル数千時間分は観ているはずです。あと最近は昼休みにオフィスでピアノを練習したりとか・・・ビリヤードもぼちぼちやってます。

ビリヤード歴はどのくらいですか?

ちょうど10年くらいになります。その割にはなかなか上達せず万年B級(中級レベル)で、生きている間にはA級になれないのだろうなぁ、と悲観的にあきらめかけていたんです。ところが先日のB級公式戦で図らずも優勝できたので、否応なく晴れてA級になりました。やったー!

おめでとうございます(笑)。過去には『FLEXSCHE Cup』というプロビリヤードトーナメントのタイトルスポンサーをされましたね。そこで取材していた私(ビリヤード雑誌の編集者)が初めてお目にかかったのはそのときでした。

2013年と2015年にみなとみらいの大型商業施設『クイーンズスクエア横浜』で行いましたね。とても立派で素晴らしいイベントでした。また開催したいのですが、どういうわけか主催の方々から「次の開催を!」とはなかなか声がかからないのが寂しいです(苦笑)。

その大会に関連して「ビリヤードプロ選手への提言」というビリヤード業界に向けた檄文を発表されています。その中には浦野さんの価値観がいろいろと現れているなと感じましたがいかがでしょうか?

まさに私なりの考え方を多分に表現しています。「プロフェッショナル」を公言するからにはビリヤードプレイヤーもエンジニアも企業も、できるだけ多くの価値を生み出すことに仕事の意義があるとか、良い仕事をするために必要な環境を作ることも仕事のうちであるとか、基本は共通だと思っています。この文面に対する共感の声は多く聞かれましたが、残念ながら具体的な動きにはつながらなかったようです。また予期した通りに一部の人達には嫌われてしまいましたが、これはやむをえませんね(苦笑)。

ここでいうところの価値という言葉をわかりやすく言い表すと何なのでしょうか?

もちろん価値という言葉はお金の言い換えではありません。そもそも「お金を稼ぐこと」と「価値を生み出すこと」は私の中ではまったくの別物です。価値というのは実際には様々な形がありますが、大まかに言うと人を多少なりとも喜ばせたり幸せにしたりすることですね。例えば株式のデイトレーディングでいくら稼ごうとも価値はまったく生み出しませんが、そのような「ゼロサムビジネス」には、私はプロフェッショナリズムのかけらも認めません。

「フレクシェ社は音楽バンドのような会社」

浦野社長から見て、フレクシェ社はどんな会社なのですか?

私はこの会社を音楽バンドのようなものだと思っているんです。ビッグバンドではなく、ギタリストがいて、ベーシストがいて、あるいはマネージャーもいて、というような少人数のバンドですね。社員一人一人がそれぞれ異なる重要な役割を担っていて、それを全うすることで音楽を生み出すような。そんな会社ですね。それぞれ得意なことも違いますから、それぞれのパートで頑張り、音を合わせて成り立っています。もし私が9人いたとしても今の会社は絶対に作れなかったでしょう。きっとトレーニングもマニュアルもぐちゃぐちゃになっているはずですし、営業はなおさらです(笑)。

少人数であるということにはどんな意味があるのですか?

生産スケジューラの開発は、領域が狭い割には奥がとても深いので、少数のメンバーがノウハウを集約していくことでのみ可能になります。単純な作業の積み上げによって完成するソフトウェアであれば人員を投入するだけでも完成に近付くかもしれませんが、FLEXSCHEの場合は人が増えることで開発の効率が上がるということはなく、開発への考え方にも一般のソフトウェアとは異なる「特殊性」がありますので、製品の品質を担保するためにも少数精鋭が有利です。会社全体に目を向けても、大きくするほど運営は難しくなりますし、会社を維持するために売り上げることが目的化してしまうかもしれません。だったらそんなに人を増やさず、コンパクトに事業を継続する方がよいかな、と思ってしまいますね。会社経営者としては、怠惰な考え方なんでしょうけれども。

FLEXSCHEの開発における特殊性とはどんなものなのでしょうか?

これだけの機能を年前に書いた1つのコードの延長線上に積み上げているというスタイルによるものです。多くのソフトウェア製品は、こういうスタイルでアップデートを続けたとしたらあっという間に破綻をきたし、全面リニューアルを余儀なくされるでしょう。私たちは1つのソフトウェアをじっくりと時間をかけて育ててきました。そのためには機能の互換性を損なわないように新たにニーズに応えられる機能を足して、しかも単純に足すのではなく、ツギハギだらけにならないように作り上げて正常進化させ続けなくてはならないのです。そのためにもエンジニアのレベルが一定の水準以上でなくてはならず、逆にいうと多くのエンジニアがいるとそのレベルの維持が難しくなります。

他にこういう仕事の仕方に近い分野などはありませんか?

うーん、「子育て」が近いかもしれませんね。親が100人いてもしょうがないですよね。少数の親が集中して、病気にならないように身体を大切にし、教えるべきことを教え、教えてはいけないことは教えない。だからといって過保護にもしない、というところでしょうか。

その教えるべきことと教えるべきでないこと、つまり機能として追加する内容の判断はどのように決まっていくのでしょうか?

ユーザーからのニーズがもとになることが多いです。ただ、ニーズのままにむやみに機能を追加していくと、それこそあっという間にツギハギだらけになってしまいます。だから個々のニーズの奥に潜む課題の本質を抽出し、それを一旦昇華して、将来起こりうるさまざまな局面で役立つ仕組みに落とし込んでやらなくてはいけませんし、同時に将来の機能拡張の障害にならないように気を付けなくてはなりません。これは寿命が長いパッケージソフトウェア開発ならではの難しさですが、醍醐味でもあります。これらのことをみんなでディスカッションして決めていきます。三人寄れば文殊の知恵で、一人の頭では到底思いつかないようなアイディアを出し合っていくんです。議論が喧喧囂囂侃侃諤諤ということが多々ありますが、そうして互いに意見をぶつけ、その真意を理解し合った先に本当の答えが見付かるんです。それこそまさに、それぞれが持つ音をぶつけ合ってセッションが成立するようなものです。

当然その場に浦野さんもいらっしゃるのですよね。部下の皆さんはなかなか話をしにくかったりはしませんか?

いえいえとんでもない、逆に私1人が全員から総スカンということも珍しくないですよ。もちろん忌憚なく意見を言ってほしいという気持ちはあるのですが、くじけそうになることもしょっちゅうです(笑)。

なるほど。だからこそより良い製品を作ることができるのですね。

生産スケジューラの開発というのはこういう性質のものなので、一人の判断だけで良いものができるということはありません。私が「いいから黙ってそうするんだ」と指示するのは簡単ですが、それをしてしまうときっと大きなものを捨ててしまうことになるんです。少数意見の中にあるものも時間をかけて吟味することは大事にしています。

製造業、そして世界中の人々に喜んでもらえるソフトウェア開発

創業してから現在に至るまで、会社がなにかしらの危機を迎えるようなことはありましたか?

リーマンショックのあとはさすがにガクンと売り上げが落ち込みましたが、なぜか危機感があった覚えもあまりなく、おかげさまで赤字にはなりませんでした。会社の歴史の中で唯一赤字を出したのが初年度の3,128円だけです。あのプリンターインクさえ買っていなければ創業以来ずっと黒字だと言えたのに、と後悔しています(笑)。

安定して事業を継続されているのですね。

ユーザーやパートナーの皆様の支えがあり、その上で社員全員が頑張ったおかげです。私たちの仕事はFLEXSCHEを通じて、ユーザーや社員、様々な人を幸せにして、社会に対して価値を生み出すことです。そのために会社の財務状況は重要で、カツカツな状態が続いて経営者が資金繰りに奔走する羽目になっては良い仕事はできません。安定して売り上げを確保することはあくまで、社員が安心して良い仕事ができる環境を作るためです。その環境を作ること自体もまた私の大事な仕事だと考えています。

良い環境があってこそ良い仕事ができる。納得です。現在の快適なオフィス環境を作ったのもそのためですか?

そうですね。社員全員がフレクシェ社で働いていてうれしいと思ってもらえるような環境作りを目指しています。その先に良い製品作りがあるはずです。

今まで生産スケジューラだけを作ってきたわけですが、それ以外のソフトウェア製品をリリースしたり、別事業を始めたりすることを今まで考えなかったですか?

確かに、まったく違う製品も作ってみたいという話は社内でたびたび出ました。しかし「具体的にこれを作りたい」というものが挙がったわけでもなく、現時点ではまだ作っていません。我々がFLEXSCHEとのシナジーがない分野の仕事をすることは誰も期待していないでしょうし、他の会社でできることは他の人たちに任せて、当面我々は我々にしかできないことを頑張りたいと思います。

フレクシェ社が現在抱えている課題などはありますか?

求人です。これに尽きますね。現状、求められていることに対してそれを実行するためのスタッフが足りていないというのが実感です。確かにエンジニアももう少しだけ増やしたいですが、それ以上に営業、マーケティングなどを担当する人材に来てほしいですね。特に弊社は問い合わせやパートナーからの要請に応じて営業が対応するというスタイルを取っていますが、それらの需要に対してパワーが全く足りていないので、営業力の強化が急務です。

人材をあと何名採用する予定ですか?

物理的には最大で14人分の席があるので、空席はあと5つですね。自分で言うのもなんですが、いろんな面で意外と良い職場だと思うので、早い者勝ちですよ(笑)。確かにハードルは若干高いですけどね。

今後のフレクシェ社の展望や目標について教えてください。

私にとっては案外これが難しい質問なんですよ。会社の規模を今よりも大きくすることや、たくさん売り上げることを目指しているわけではありません。しいて言うならば「生み出す価値を増やす」ということです。我々の軸足が生産スケジューラにあることは間違いありませんが、これからのフレクシェ社はFLEXSCHE開発を通して培ってきた技術を違う領域で活かすこともできるでしょう。生産スケジューラの理想形をさらに追求して製造業に貢献する製品を開発し続けることこそが、今後も我々が目指すべきことであり、同時に未来のフレクシェ社の可能性を押し広げることでもあると考えています。

生産スケジューラの理想を追求すること。それは今、最終到達点までどのくらいの位置まで来ていますか?

正直言ってさっぱりわかりません(笑)。FLEXSCHEにできることがこんなに増えてもまだ、ニーズは湧き出し続けています。製造業におけるものづくりは進化していますし、我々も同じように日々進化していかなくてはいけません。現状においてもまだ足りていない部分があり、これからもやるべきことはいくらでも増えていくでしょう。AIなどの新たな技術を取り入れていく必要もあると思っています。生産スケジューラの開発にそれだけのエネルギーを注ぎ込むべき立場にあるのはおそらく我々だけであり、使命であるとも思っています。そこに向けて邁進し、製造業に、そして世界中の人々に向けて価値を提供し、みんなに喜んでもらえるソフトウェア開発をひたすらに続けていきたいと思います。

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